物理学論文集「深層静止空間論」(1998年1月発行)


まえがき(1997年3月作成)



 本論文集は,著者が過去3年ほどの間に執筆して投稿した4編の論文(邦論文1,英論文
4,5,6)と英論文5,6の邦文原稿として作成した2編の論文(邦論文2,3)からな
る.
 これらの論文は特殊相対論の不完全さや矛盾点を指摘し,理論のさらなる拡張(深遠化)
を目指し,その目的を達成したと著者が考えているものである.
 著者は以前,特殊相対論をくつがえすことを目的といた論文を3編程印刷物として,刊行
した.すなわち,

 「内包性静止空間論」(1987年9月30日発行)

 「内包性静止空間論(改訂版)」(1998年10月31日発行)

 「内包性静止空間論(再改訂版)」(1992年3月31日発行)

 (ただし,当時,著者が内包性静止空間と呼んだものは,現在では,深層静止空間
(Depth Rest Space)
,また,内包性速度ベクトルと呼んだものは,深層速度ベクトル
(Depth Velocity Vector)
と呼び名を変えている)

 著者は,1982年の1月に,特殊相対論を論破する複雑な思考実験を考案してから,5年後
の1987年1月に邦論文2(英論文5)の思考実験1を思い付き,未知の物理量,深層速度ベク
トル存在を確信するとともに,深層静止空間の概念を導入した.
 しかし,深層速度ベクトルの大きさを求めるための思考実験の考案は,ことごとく失敗し著
者もほとほと諦めかけていた1994年6月に,ついに目的を達成した.
 この思考実験は,著者が考案した思考実験のなかでも,最高傑作である.
 著者は早速,英論文を投稿すべく,以下の原稿(邦論文2)を作成し,後日翻訳して下記
の雑誌に投稿したが,様々な理由で採用を拒否された.
 しかし,この論文は,内容的に最も高度で歴史的価値の高いものであると確信している.

 邦論文2「特殊相対論をくつがえす思考実験について」 (1994年6月原稿完成)
 英論文5「THOUGHT EXPERIMENTS WHICH DISPROVE SPECIAL RELATIVITY」
      (1994年10月29日 THE PHYSICAL REVIEW に投稿)
       (1995年3月20日 PHILOSOPHICAL MAGAGINEに投稿)
       (1995年5月19日 AMERICAN JOURNAL OF PHYSICSに投稿)

 「PHILOSOPHICAL MAGAGINE」や「AMERICAN JOURNAL OF PHYSICS」で不採用とされたの
は,論文のジャンル,あるいは,雑誌の読者層などの問題からで,著者もやむを得ないと納
得したが,天下の「THE PHYSICAL REVIEW 」に却下されたのには,唖然としてしまった.
 著者は,これらの経験から,いきなり,特殊相対論をくつがえすことは,特殊相対論を一
種の信仰の対象としているような物理学者にまったく受け入れてもらえないと考え,分かり
易さをモットーに下記の論文を作成した.

 邦論文3「特殊相対論の解釈の新しい試み」
       (1995年8月原稿完成)
 英論文6「A NEW TRIAL OF INTERPRETATION OF SPECIAL RELATIVITY 」
      (1995年12月27日 THE PHYSICAL REVIEWに投稿)
      (1996年1月22日 AMERICAN JOURNAL OF PHYSICSに投稿)

 論文のターゲットは,物理学の教師や学生にしぼり,お互いに等速運動している2つの座
標系A,Bにおいて,座標系Aからの観測で座標系Bの時計が遅れ,座標系Bからの観測で座標系
Aの時計が遅れることの意味を懇切丁寧に解説した.
 このことにより,座標系Aからの観測で座標系Bの時計が遅れている時,座標系Bからの観測
で座標系Aの時計は進んでいるはずという我々の常識が何故成立しないのか,理解できる.
 この論文では特殊相対論が予測する結果を説明しながら,特殊相対論が矛盾を内包してい
ることに気付くよう配慮した.
 また、この論文ではタイトルも過激さを控え,雑誌に掲載させることを最優先させた. 
 しかし,この論文も不採用となった.それでも著者はめげることなく,下記論文の作成に
とりかかった.

 邦文原稿「特殊相対論の新たなパラドックス」(本論文集には未掲載)
      (1996年3月原稿完成)
 英論文4「A NEW PARADOX OF SPECIAL RELATIVITY」
       (1996年6月11日 THE PHYSICAL REVIEWに投稿)
      (1996年7月8日 AMERICAN JOURNAL OF PHYSICSに投稿)

 論文の内容は,特殊相対論の誤まりを指摘することでなく,特殊相対論の不完全さを論証
することを主目的とした.
 特殊相対論が不完全であることは,個人的には以前より明らかなことであったので,いま
さら,不完全さの論証をすることになるとは,夢にも思わなかった.
 論文中の思考実験に特殊相対論を適用し続けて行くと,最終的には特殊相対論が不完全で
あると考えざるを得ない状況に到達してしまう.
 あまり気乗りしない作業であったが,結果的には痛快な思考実験が提示でき,結果には満
足している.
 しかし,この論文も不採用となった.その時,一連の論文をまとめた論文集を作成しよう
との考えが著者の脳裏に浮かんだ.
 ところが,当時,日経サイエンス社が,創刊25周年の記念論文を募集していたので,著者
は気を取り直してもう一度投稿してみることにした. 
 ここでは,読者が一般人であることを勘案して,先の邦文原稿に新たに序論を付加し,文
章も若干変更し,さらにタイトルも下記のように改めて投稿した.

 邦論文1「特殊相対論の不完全さの論証」
      (1996年8月22日 日経サイエンスに応募)

 しかし,これも選にもれた.以上のような経緯を経て著者は本論文集の刊行を決意した.
 ところで,20世紀の初頭には,物理学の分野で想像を絶する2大革命が起こったのは周知
である.すなわち,相対性理論と量子力学の誕生である.
 そして,一般的には,この2つの理論は現代物理学の車の両輪,鳥の両翼のように考えら
れ2つの理論構造の決定的相違点に関しては,あまり議論されていないように思われる.
 しかし,著者の立場からすれば,両理論の間の溝は決定的である.
 相対性理論は,物差しの収縮や時計の遅れ等を予言するが,理論が説明,あるいは,解明
しようとしている対象は,古典物理学と同じ客観的現象(=実在)である.相対性理論が予
言する結果(現象)は,我々の存在や観測とは無関係に存在していて,我々の観測という行
為は,物差しの収縮や時計の遅れ等のア・プリオリな現象(事実)をただ単に確認する作業
に過ぎない.観測によって求める物理量の値(対象の状態)が変化してしまう訳ではない.
その意味において,相対性理論は我々の古典的常識では,ちょっと信じ難い予測はするが発
見された理論という色彩が強く,ニュートン物理学の延長線上にあるもので,古典物理学の
集大成といえる.
 相対性理論が実在の客観的状態の記述や説明を目的とする以上,理論がもたらす奇妙な予
測も,我々の論理的思考という常識の範囲内で理解,解釈すべきものであると著者は確信し
ている.
 これに対して,量子力学は,通常見過ごされている傾向もあるが,我々の観測とは無関係
に存在しているはずの実在の客観的な在り方やふるまいを説明することを目的とした理論で
はない.   
 また,量子力学は,客観的対象としてのミクロの世界を支配しているはずの自然法則(秩
序)を確率的に説明・記述した理論でもない.
 しかし,アインシュタインは自然法則の決定論的,かつ,実在論的探求こそ物理学の究極
的使命と信じていたので,量子力学には終生反対し続けた.
 彼は光の速度の研究から相対性理論をまた,光の粒子性の研究から前期量子論構築の重要
人物のひとりとなったが,アインシュタインにとってこの2つの理論は,天敵ボーアの言葉
を借りるまでもなく,光の実体を理解するための相補的な理論であり,量子力学はここでも
相対性理論と同様に,古典力学の延長線上の理論であるべきと考えられていた様である.し
かし,量子力学が対象とするところは,我々の観測とは無関係に存在しているはず(このよ
うな表現には異論もあろうが)の実在(自然)の客観的状態などではなく,対象への無限回
の観測によって得られた物理量の観測値を集積(重ね合わせ)し,それをもとに創造(ある
いは決定)された数学上の“量子力学的状態”という恐るべきものなのである.理論の革命
性たるや,相対性理論の比ではない.
 量子力学が対象とする“量子力学的状態”は,観測によって状態が急激に変化(収縮)し
てしまう.しかも,この変化は非因果的なもので,我々の論理的思考が関与する領域ではな
い.                 
 そして,このことはほとんど強調されていないように思えるが,量子力学において,Ψ
る“量子力学的状態”にある対象に対して観測を行なってある物理量の値を得た場合,得ら
れた物理量は,Ψなる状態のなかにはじめからある確率で存在していた物理量が観測された
と考えるべきではない.つまり,ある観測によって,Ψなる状態のなかにある確率で存在し
ていた物理量の値を得た瞬間,観測装置が対象に及ぼす不可避な擾乱によって元の状態が別
の状態に変化(収縮)するのではなく,観測によって元の状態から収縮,変化して得られた
別の状態に対応する物理量を我々は観測値として得るのである.得られた物理量は元の状態
に帰属するものではなく,次の状態に帰属するものなのである.
 量子力学における観測という作業は,観測以前の対象の客観的状態にある物理量の値を知
ることではなく,量子力学的状態に対して観測を行なった瞬間に非因果的に収縮,変化した
次の状態(ディラックのデルタ関数)が有する100%確定した値を物理量(観測値)として得
ているのである.
 さらに,量子力学の非決定論的性格の説明は,ハイゼルベルクのγ線顕微鏡の思考実験な
どで説明されることが多い.しかし,著者の立場からすれば,ここで重要なのは,位置と運
動量の値を1つの実験によって同時に確定することが原理的に不可能であることから,ミク
ロの世界の2つの物理量が同時に確定値をもつことができないと結論づけることではなく,
2つの物理量が本当は同時に確定値をもっていたとしても(本来,観測を度外視した“本当
は”なる表現は,物理の議論として使用すべきではないが…),その後のふるまいが,ラプ
ラスの決定論に従わない(これこそ,自然の本性としての偶然性!)ことを認識することの
方が重要なのである.
 ファインマンが,「一人の哲学者がある時言った.『同一条件下では常に同一の結果が生
まれるということが科学にとって必要不可欠なことである.』と.しかし,事実はそうでは
ない.」(Richard Feynman: The Character ofPhysical Law)といみじくも語っていたが,
我々は量子力学の戦慄が走るような奇妙さと相対性理論の不思議さを同格に扱うべきではな
い.
 長々と量子力学について語ってしまったが,いままでの議論で,特殊相対論は,あくまで
論理的思考と直感によって理解すべき理論であるとの著者の主張がご理解いただけたであろ
うか.
 青年期のアインシュタインは,マッハ哲学や実証主義から強い影響を受けて,エーテルの
存在を否定し,同時刻の相対性の概念を提唱して特殊相対論を構築した.
 しかし,その晩年は実在論的色彩を強め,青年期に特殊相対論を構築した際に指針とした
哲学とは大きな隔たりがある.アインシュタインはこの点に関して質問されることを好まな
かったようである.
 従って,以下の推測は著者の単なる直感で何の根拠もないが,量子力学の心髄が良く理解
できなかったアインシュタインであったが,特殊相対論に内包された矛盾には密かに気付い
ていたのではないかと思われる.
 我々20世紀に生を受けた人間としては,今世紀中に特殊相対論の不完全さを認識し,深層
速度ベクトルの存在に気づかなければ,後生の科学史家に,転倒した精神の事例として,末
代まで語りつがれる屈辱を味あうこと必定である.相対性理論は今世紀に産声をあげたので
あるから,せめて引導は今世紀の人間が渡したいものである.
 人類はもういい加減にしなければならない! 特殊相対性理論を宗教のように信じ切って
何ら疑うことをしない貧困な哲学しか持ち合わせていない物理学者が,教祖アインシュタイ
ンの呪縛から解放されない限り,物理学に未来はないと断言できる.
 実験的に100%検証されていて,数学的にも完全な理論であったとしても,哲学的な問題が
未解決である以上,物理理論としては不完全であることを認識しなければならない.  
 著者はこの忌まわしい特殊相対論に関する研究に24年を費やしてしまったのであるからこ
の論文集の評価がどうであれ,そろそろ特殊相対論の研究から足を洗いたいと考えている今
日この頃である.
 この著書を手にされた諸氏には,この著書が最低でも100年はこの世に存続できるよう特段
のご配慮を賜りたい.
 最後に紙面を借りて,英論文翻訳の労を全面的に引き受けてくれた著者の友人,安井高広
氏に謝意を表したい.
 もし,彼の助力がなければ,ルーズな著者が邦文原稿の作成に着手することもなく,この
論文集がこの世に誕生することもなかったであろう.


 追記まえがき(1997年12月作成) 
 
 本論文集の原稿の整理を始めてから,刊行までに1年を費やしてしまった.
 この間,著者はたび重なる校正をくり返し,宏義印刷株式会社の前田博司さんとシマダD.
T.Pシステムの嶋田博さんには大変お世話になった.心よりお礼を申しあげたい.
 さらに,長年,私の自由を認めてくれた両親に対しても謝意を表わしたい.
 ところで,量子力学によれば,2つの光子が絡み合った状態,あるいは重ね合わせの状態
にあれば,それぞれの光子が空間的にどのように離れていても,両者の状態は不可分に相関
していて,一方の光子の状態を測定した瞬間,遠く離れたもう1つの光子の状態も決まって
しまう.
 1982年のアスペの実験で,量子力学の予想通りベルの不等式を破る強い相関が発見された
が,その後のいくつかの実験結果も考慮して,著者も現在では,アインシュタインがあり得
ないと考えていた非局所的現象(EPRの相関)が存在すると確信している.
 しかし,非局所的現象の存在と本論中で光速を自然界の最高速度(光を追い越す物体の存
在を認めないこと)とする立場は,決して矛盾することではないことを指摘しておく.
 一般に,光速を超える作用(この作用が瞬時ならば遠隔作用),あるいは情報伝達は,相
対論とは相容れないと考えられている.
 しかし,著者は光速を超える作用の伝播が存在しなくても,瞬時の情報伝達は可能と考え
ている.つまり,非局所的相互作用(=遠隔作用)の存在は相対論によって禁止されたとし
ても,非局所的現象の存在までは禁止されていないと考えている.著者はデヴィッド・ボー
ムの解釈(量子ポテンシャル)に肩入れしているのであろうか・・・.