■成田出発時にビザが無くて出発できず。一週間前から急に30日以内のインド旅行でも
 ビザが必要となったのだ。しかし、素人がそのことを知る術はない。結局都内のインド
 大使館でビザを申請。4日後に出発するはめに。
■ムンバイ(ボンベイ)に真夜中着いた時、空港内で一人の男から執拗にタクシーに乗れ
 と迫られる。しかし、この男はドライバーではなかった。タクシーに乗ると言えばお金
 だけ先に貰ってトンズラするか、荷物を運ぶといって持ち逃げしてしまう。3回も乗り
 継ぎして疲れていたし、突然の暑さと香辛料が充満している大気。初めから予定をたて
 ておかないとやられてしまう。
■空港から市内(30kmくらい離れている)に行くのにリムジンバスを利用しようとし
 たが、荷物を自分で運ばせてくれない。チップも払いたくないが、何よりも盗まれるの
 が心配。
■バスの乗客が少しずつ降り、最後に自分だけになると運転手は道端にバスを止めてしま
 い、日本性のライターやタバコを要求してくる。私が車掌の分も渡すまでバスは道端に
 停止したままだった。
■バスを降りると男が寄ってきて、ハシッシー(大麻を樹脂状に固めたもの)を買えと誘っ
 てきた。空港内では、女を買え、カメラ・時計を売れ、等執拗にまとわりつかれた。
■路上生活者が沢山いた。仕事を持っている人もいるのだろうが、物乞いも多いと思う。
 交差点で止まった車の窓を勝手に拭いてお金を要求する子供たちもいる。
■ムンバイ市内の駅前で死んでいた少年もいた。人々はそのことを問題視していないし、
 みんな無関心で通り過ぎて行った。
■どこへ行っても乞食ばかりでウンザリ。乞食が職業という人もいる。代々世襲性だから、
 親が自分の子供を不虞にして、商売をしやすくする場合もあるそうだ。どうりで不自然
 な不虞者が見られる訳だ。それにしても余りに執拗なので辟易してしまう。
■赤ん坊を抱えた少女が私の前に立つ。すでにうんざりし、疲れ切っていた私は1ルピー
 (20年前は、1ルピー25〜30円。現在2.8円くらい)に早く立ち去ってくれとの気持ち
 を込めた。お金を貰った彼女はしばらく笑みを浮かべ私の前から立ち去らなかった。彼
 女が貰うお金はいつもはもっと少ないのだろう。逆に私はショックを受けた。
■一般的には乞食は感謝の念を表さない。あるいは感謝していないのかも知れない。与え
 る者に死後により良き場所に生まれるための善行を行う機会を与えてやっているとの意
 識があるようだ。
■空港や駅では、小さなトイレにも手を洗うとタオルを差し出す人がいて、その人は利用
 者のチップを現金収入としている。堂々と居られると落ち着いてできない。
■ムンバイ市内で航空券を買おうと航空会社に向かうが、ガイドブックに示された場所に
 会社がない。結局その日は買えずにホテルに戻るはめに。翌日分かったが、インド国内
 一の旅行会社のオフィスがデパードの3階の一室なのだ。これでは分からない。
■一般のインド人の家にはトイレがないそうだ。毎朝缶に水を汲んで草むら等で用をたす
 姿をよく目にするが、インドではそこらじゅうウンコだらけ。勿論トイレットペーパー
 などなく、左手と水を使っておしりを洗う。(食事を取るのは右手)
■バスの屋根の上にもインド人。車内に入らないと列車がタダと聞いたことがあるが、こ
 の場合もそうなのか、定かでない。
■二等列車は人で一杯。天井の荷台や向き合っている座席間の床にも、人が占拠している。
 勿論トイレの中も。
■乗ろうとする列車のチケットが等級によって売っている場所、建物が違う。(行き先や
 乗車日によっても、場所が違うそうだ)長時間並んでやっと番がきて、このことに気づ
 いた。うんざり。(当時は知らないが現在では外国人専用の窓口があるそうだ)
■ホテル内では、石けん、タオルなどがきちんとそろっていなかったり、扇風機やある個
 所の電気が付かなくなっている。その度ごとにボーイを呼ぶが、用が済んでも、チップ
 をやらないと部屋から出て行かない。用事が一度呼んだだけでは済まず、ウンザリして
 しまう。しかも、呼ぶ度ごとにやってくる男が違うのだ。
■国内の航空券を買った場合は何日か前までに再確認(リコンファーム)が必要。案の上
 私のチケットの予約がキャンセルされていた。
■列車が長すぎて自分が乗る列車が分からない。列車が動き出すので適当に乗って車内を
 移動しようとしたら、各車両ごとに鍵がしまっていて移動できず。
■列車はすぐに数時間遅れてしまう。降りたい駅は決まっているのに、次の駅の放送はな
 いし、駅のホームは暗くて長く、表示も見つからない。あったとしても読めないし、イ
 ンド人はよくウソを付きあてにならない。人によって言うことが違う。どっと疲れが出
 る。
■バスに乗ったのだが、運転手が途中でバスを止めてチャイ休憩してしまう。その間乗客
 は待つはめに。
■マトゥラーという町は、パキスタンのガンダーラ地方とともに仏像が初めて作られた町
 と言われている。この町のヒンドゥー教の寺院に巡礼しようとしたら、寺院までの100m
 程の距離を裸足で歩くことを強いられた。しかし、道には、犬や豚や猪や牛などの糞尿
 が一杯で、それを往来のリクシャーや自転車、男たち、動物自身が踏みつけるため、ビ
 チャビチャなのだ。一瞬滑って転びそうになった。
■アグラはタージマハルで有名な町だ。夜リクシャーをチャーターしてタージマハルへと
 向かう。門の前で降ろされ、私は一人で中に入って行くことにしたが、あまりに暗すぎ
 て入口が分からない。もう中に入っているのか周囲を俳諧しているのか自分でも分から
 ない状況が30分程続く。結局門を通過できていなかった。
 その翌日もタージマハルへ向かう。タージマハルの裏にはヤムナ川が流れていたが、蛇
 行した川の浅瀬で数匹の犬が何かを食いちぎっているのが微かに見えた。凝視するとそ
 れは人の屍体。のどかな風景の中にその景色は同化していた。日本なら大騒ぎだろうが、
 インドでは誰もそれを問題にしない。私はインドで何回か屍体を見ていたので、感覚が
 麻痺してしまっていて敷地内から写真撮影した。日本に帰って来てから、もう少し近く
 に行って撮れば良かったと後悔した。
■アグラのホテルは10人部屋のドミトリー。ベッドとその周辺数十センチほどが自分の
 空間である。その部屋に私は一人で泊まっていたが、夜中の2時頃もう一人の客が入っ
 て来た。電気を付けないのでどこの国の人かは判別できず。朝起きた時にはその男の姿
 はなかった。といっても、良く眠れた訳ではない。緊迫していた。
■デリーのオールドデリー地区はニューデリーができる前からあった混沌、雑踏のまちで
 犯罪も多い。現在、ガイドブック等では、この地域への外国人の立ち入りは自粛を求め
 られている。その町の土産物屋に連れて行かれ、突然入口の鍵を閉められた。緊迫が走っ
 た。
■デリーのホテルはサンチーで知り合ったオランダ人と一緒に旅をしていたので、外国人
 専用のドミトリーに。数十センチとなりには他人のベッドがあり、しかも、隣のベッド
 は女性ときた。真夜中ちょうど正月を迎えたので、ヒッピー風の外国人たちと屋上で歓
 談していた。タバコのようなものが回し飲みされたが、私はそれを隣の女性との間接キ
 スと解釈し、ずっと吸っていたら、早く回すように促され、恥ずかしい思いをした。
■ガンジス川とヤムナ川が合流する地点サンガムがあるアラハバードに着いたのは夜中の
 1時。駅にたむろしていたリクシャワーラーにホテルに連れて行ってもらったが、外は
 街灯もなく真っ暗、ホテルも古びた小さなもので、暗闇の下でオーナーたち3人に囲ま
 れ、やられるかと思った。夜中には外から不気味な音が流れ込み熟睡できなかった。
■アラハバードで、朝サンガムに向かおうとヤムナ川に沿って歩いていた。遠方の対岸か
 ら人々の叫ぶ声がかすかに聞こえる。船頭がサンガムまで行こうという。船に乗ったが、
 いつまで経っても一向に対岸に向かう気配がない。どんどん下流に下って行くだけ。結
 局道と平行に川を下っただけ。これでは乗った意味が分からない。騙されたのか。
■ヴァナラシー(ベナレス)駅には夜中の1時に到着。それからホテルを探したが、4件
 断られ結局ホテルを探せたのは2時30分。この間駅で客待ちをしていた人相の良くない
 リクシャワーラーと闇の大地を走り回った。緊迫した状況だった。
■ヴァナラシーのガンジス川では沢山の人が沐浴している。その周辺ではプカプカ浮いた
 家畜の腐乱屍体。ガンジス川は公害による汚染も深刻。それでも、ヒンドゥー教徒にとっ
 てこの川は神聖な川なのだ。
■ラージギールという町は、釈尊が『法華経』を説く舞台になった場所であるが、ガヤー
 からそこへ向かう途中のバスの中で、ホテルの経営者という男に声を掛けられ、そのホ
 テルに泊まることにした。しかし、このホテルは建設途中でコンクリートで骨格ができ
 ただけ。電気もなく、ベットはリンゴ箱を並べたもの。突然の高熱に襲われたため、一
 晩中怖くて熱を計れなかった。こんなことは初めての経験だ。
■日本の11月くらいの寒さなのに、毛布一枚しか掛けるものがない。このままでは死ぬと
 思い熱は39度以上あったが、15kg以上ある荷物を持ってホテルを換えることにした。次
 のホテルでは、毛布二枚を借りることができたが、昼間は停電、窓は木でできていて、
 昼間も真っ暗。39度8分を2日ほど経験したが、それも暗闇の中で懐中電灯で時間を確か
 め、3本ほどのバナナを3日に分けて食べ、日本の薬を飲み続けた。
 それにしても、死ぬかも知れないと思った時に、ノックでドアを開けると女、ドラッグ、
 時計・カメラを売れ! ふざけるな!と思う。マッサージはまだ許せたが・・・。
■高熱を出してホテルで寝ていた。ホテルの男が何やら話しかける。食事に連れて行って
 くれるのだと思ったら、医者へ。注射器が錆びていたが我慢した。ヴァナラシーで会っ
 た日本人がマラリヤと赤痢に同時にかかり(そんなことがあるのか知らないが)、行き
 倒れになった時、インド人が祈祷師を呼んでくれたとのこと。それに比べれば増しだと
 思ったのだ。
■ブッダはブッダガヤの地で悟りを開いたが、ブッダが我々に語りかけていることは、
 「人間死んだらどうなるか」「極楽へ行く」などということではなく、「より良く生き
 ようと努めないかぎり、この生は苦に終わってしまう」「自分の置かれた条件の中で、
 どうやったら正しく生きられるか、また、自他の生を完全なものにできるのか」という
 ことであると何かの本に書いてあった。
■オールド・デリー、ヴァナラシーでもそうであったが、呼び込みやリクシャーのおじさ
 んに連れて行かれる店は中に入ると鍵を閉められ、出口には怖そうな男が立ち、何か買
 わないと出にくい雰囲気。私はそれでも気に入ったものが無い場合は買わなかったが。
 ガイドブックによれば、このような時店内で出されるティーなどには要注意。睡眠薬が
 入っている可能性が大きいとのこと。
■コルカタ(カルカッタ)のホテルは一杯だった。相部屋で了解したが、部屋に行くと先
 客の荷物が置いてある。やがて帰ってきたインド人は突然の珍客に焦っていた。お互い
 に危害を加えないということを確認し合うかのようにプレゼントを交換し合い、緊張し
 た夜を過ごす。
■あるインド人に親切にされる。ひとり旅などで、色々教えてもらえるとありがたいので
 最後にお礼をいって別れようとすると、バクシーシの手が伸びる。友達になったかと思っ
 たが私が甘かった。こんなことが度々あった。


番外編
■2回目にインドに行ったときは、デリーの空港に降りたってバッグを受け取ったときに
 すでにバッグの鍵を壊されカメラを盗まれてしまった。
■逆に、捨てた物なのにホテルから空港まで30分以上もあるのに忘れ物だと、届けてくれ
 る。