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マウリヤ朝(BC317年〜)からグプタ帝国(AD320年〜)成立までの間は、クシャーンなどの異民族の支配にもかかわらず、宗教と文化の両面で活発な創造が行われた。この時代は仏教の遺跡、遺物が際だっているが、ヒンドゥー教でも仏教に劣らない目覚ましい発展が見られ、ヴェーダの神々の信仰は衰え、それに換わって、シヴァ、ヴィシュヌ、クリシュナなどの神々の信仰が広まった。
これらの神々は、ヴェーダの神々と違って偶像が造られるようになった。シヴァの場合、その象徴として、リンガ(男根)が好んで造られ、祀られた。
シヴァとヴィシュヌの信仰はヴェーダの宗教の外から生まれたと考えられている。バラモンが各地の民間信仰を吸収して行った過程で、シヴァがヴェーダの神ルドラと同じ神とされ、ヴィシュヌがヴェーダの同名の神と性格の違った神になったようだ。
ヴェーダ時代の暴風神ルドラに起源をもつシヴァ神は、恐ろしい破壊の神であると同時に、吉祥の神でもある。また、生殖を司る神として、男根を象ったリンガによって表される。
ヒンドゥー教ではリンガ、すなわち、男根が重要な崇拝の対象になっている。我々日本人は、その崇拝形態が非社会的で猥雑なものと考えるかも知れないが、インドでは決してそのように考えられてはいない。アーリヤ人が侵略してくる前のインドの地に太古から存在していた男根崇拝を、ヒンドゥー教は自らの中に取り入れ、それを普遍化した。
インド古来からの男根崇拝がシヴァ神崇拝の中に組み入れられたのは、ウパニシャッド(叙事詩)の時代と考えられている。リンガはシヴァ神のシンボル、シヴァ神の一つの姿としてすでに紀元前2〜1世紀には、石などで表現されていた。このリンガのシンボルは、初期のヒンドゥー教窟院において最も重要な「聖なる」崇拝対象であった。
カールリー石窟などの仏教窟においてストゥーパ(仏塔)が占めていた位置を、ヒンドゥー教ではリンガが占めていたのである。実際、仏教窟内のストゥーパは巨大なリンガのようにも見え、窟内の仏塔の周りを恍惚状態で踊りながら回っている女性を見ると、彼女はストゥーパとリンガを混同して、あるいは、両者の違いなどお構いなしに崇拝しているのではないかと、思えてしまう。 |
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